ボビイ・ブラウンという女性について
このコスメの創業者Bobbi Brown(ボビイ・ブラウン)という1人の女性について紹介していきます。
彼女がメイクアップに夢中になったのは、まだ幼い頃に母親の化粧品を見つけ、その頃から化粧品に夢中になりました。
プロのメイクアップアーティストを志したのは、女優であるアリ・マッグローのナチュラルなメイクアップ、ダークヘアーに憧れだそうです。そんな憧れを抱き、働ける年齢になると彼女は地元の小さな化粧品店に足を運び、そこで初めて化粧品の現場というものを体験することになったのです。
その後、彼女はボストンのエマーソンカレッジで勉強を続け舞台メイクで美術学士号を取得しました。卒業後の彼女はプロのメイクアップアーティストをするためアメリカ ニューヨークへ。そこで自分の作品を様々な写真家、一流雑誌、モデルとの仕事へ繋げることができました。それから「コスモポリタン」「self」「VOGUE」等有名雑誌で次々と仕事が発表されました。
彼女が一躍有名になったきっかけは、1987年アメリカ版「VOGUE」の表紙でした。この表紙を務めたのは有名写真家のパトリック・デマルシェリル、国際的なファッション雑誌やパリやミラノのファッションショーで有名なイギリスの女性ファッションモデルのナオミ・キャンベル。そしてメイクが彼女ボビイブラウンでした。1人でニューヨークという地に移ってから7年、彼女は世に認められ、業界で注目されるメイクアップアーティストになりました。
メイクアップアーティストとして有名になり、成功を手に入れた彼女は、市販化粧品の仕上がりに気になることがあったのです。
80年代、当時の流行メイクといえばマドンナのような真っ赤なルージュ、不自然とも見える白い肌、輪郭を強調するためのチークが王道でした。
そんな時、フリーランスとしてキャリアを10年積んだ彼女に自身のブランドを立ち上げるきっかけとなった出来事がありました。雑誌撮影で1人の科学者と出会ったのです。
「私はリップスティックを作りたいと考えていました。匂いがなくて、乾いたりべたついたりしない、唇をより自然に、そしてよりきれいに見せてくれるようなものを。」
この一言をきっかけに、彼女と科学者はこれまでになかった唇をよりナチュラルに見える独自の開発が彼女の人生をさらに大きく変えることになるのです。
そして出来上がったのが、ピンクブラウン系のまったく新しい配合のリップ。その後、ブラウンベースのリップカラーがさらに9色生まれたのです。これでボビイのリップスティックセットが完成しました。
1991年、BOBBI BROWNの最初の商品ともいえる10色リップカラーが登場し、アメリカ ニューヨークで超有名高級百貨店バーグドルフグッドマンで1週間で1ヶ月分という記録的な売り上げを出したのです。この爆発的な人気を果たしたリップカラーは彼女が自分が使いたいカラーがなかったため、自らが作り出したリップカラーでした。
美容業界に革命をもたらした彼女にエスティーローダーが注目し、創業からわずか4年後の1995年、エスティーローダーグループに入ることになりました。
その後、彼女はさらなる活躍を見せていきます。
彼女のモットーは「シンプルに、現実的に、そして接する全ての人に親切で優しく」である。
またメイクアップ哲学は「全ての女性が個性を生かして、最も美しい自分を表現し、自分自身に自信を持って欲しい」という女性に寄り添った非常にシンプルなものである。
そんな彼女は弁護士の妻であり、3人の子供達の母親であり、プロのメイクアッップアーティストという女性であるのです。
2016年に創始者・チーフ クリエイティブ オフィサーであるボビイ・ブラウンがエスティー・ローダー カンパニー および ボビイ ブラウン ブランドから退任しました。
ブランド25周年を迎え、「新たなフェーズの始まり。新しい冒険をスタートする時が来た」「長きにわたり一緒に働いてきた素晴らしい人々に感謝していますし、このクリエイティブな努力と私達が一緒に作り上げた革新的な商品を誇りに思います」「そして、ローダー・ファミリー。たくさんの機会をいただき感謝しています」と話していたという。