香水の歴史
今でこそ、簡単に手に入る香水の数々。
その香水をつくる技術は、いったいどこでどのように始まったのでしょうか?
それは、いまだ謎のままではありますが、しかし古代においてすでに広範囲に広まっていることから、その起源はかなり古いということがうかがえます。
実際、多くの歴史家たちによれば、香水の歴史は、遠く古代エジプトまで遡るとしています。
暑いエジプトでは、人間の身体を清潔な香りに保つ技術が非常に高く評価され、またその芳醇な香りは健康と生命力の証だとも考えられていたのです。
香水は、美容品であると同時に、薬でもあったわけですね。
さて、古代ローマ人たちは、香水の虜だったようです。
「香水」のことを、パヒューム(Perfume)と言いますが、この言葉は、「煙の向こうに」の’’Per fumus’’ から来ています。
実は「香水」の語源は、ローマ人たちが残してくれた言葉だったのです。
また、最近の考古学調査によれば、キプロス島には、紀元前1850年から調香用の工房があったことがわかっています。
イブン・スィーナーという人は、10世紀に活躍したイスラムを代表する科学者です。
この時代は、素材を蒸留してオイルにしたものを香水として使うのが一般的でした。
しかし、スィーナーは、蒸留してアルコールにした香りを作り出すことに成功!
こうして彼の偉大なる発明は、オイル自体の不快な香りを取り去ることができ、つけたときにも清潔であるため、現代の香水のほとんどがこの製法でつくられているのです。
今や誰でも手に入る香水は、もともとフランスで流行し始めました。
その当時、とても高価な香水は、貴族など一部の限られた人しか手にすることができない貴重なものでした。
お風呂好きだったローマ人とは異なり、フランス人には、お風呂に入るという習慣がなかったために、香水が発達したといわれています。
ベルサイユ宮殿など、華やかな宮廷生活のイメージがあるフランスですが、実は意外にもあまり清潔ではなかったんですね。
でも、おかげで、今や世界中の人が知る有名なフランスの香水の数々が売られています。
世界三大美女クレオパトラ
その昔、香水は、文化が栄えた国家でしかつくることが出来ませんでした。
古代の香水の作り方は、高級マイセン磁器などと同じように企業秘密とされていたので、あまり多くの文献は残されておりません。
しかし、古代エジプトのプトレマイオス朝時代における当時の作り方が残っており、実はこの香水を使っていたのは、あの絶世の美女クレオパトラでした。
クレオパトラは、当時交易によってエジプトでは手に入りにくい香料の成分を入手していたのです。
クレオパトラ愛用の香りは、キフィーと呼ばれているもので、パラやユリの花をワインにつけて調合をしたものでした。
クレオパトラは、特にバラの香りが好きだったと言われており、いつも自分の歩く場所へはバラの花を敷き詰めて、その香りを楽しんでいたようです。
船にもバラの香りを染み込ませていたという話も残されているほど、バラを好んでいたのです。
世界三大美女と言われるクレオパトラが、ローマのアントニウスやシーザーを虜にさせたのも「香り」だという伝説もあるほど。
自分の体温プラス香水の効果で、自らのオリジナルの「匂い」を放っていたのかもしれませんね。
そんなクレオパトラが愛した香水は、まさに女王の名にふさわしい香りで、その特徴は植物のもつ天然の香り。
甘い花の香りは、女性の魅力をさらに際立たせるような、そんな香りだったそう。
クレオパトラは、現代でも美の代名詞となっていますが、香りを通じて自分の魅力を引き出していた彼女は、まさに女王にふさわしいと言えますね。
世界最古の薬局はイタリア
世界最古の薬局といえば、イタリアのフィレンツエにある「サンタ・マリア・ノヴェッラ」薬局。
その起源は、はるか昔、古の13世紀にまで遡ります。
「サンタ・マリア・ノヴェッラ」薬局は、薬草調合で有名になり、1612年にはフィレンツェの街の統治者から薬局としての認可がおりました。
その評判においては、ヨーロッパ中の貴族が顧客リストに載るほど。
自然の香りを損ねない丁寧な処方や技術、優れた保存方法などが人気の秘密だったそうです。
その後、メディチ家というヨーロッパの名家から王家御用達の名をもらいます。
そんな中、メディチ家からフランス王家のアンリ2世にお嫁入りをすることになっていたカタリーナ・ディ・メディチのために新しい香水をつくってくれという依頼がきます。
非常にむずかしいオーダーを引き受けて、実際に香水を完成させたのは、ドイツのケルンに住む薬剤師だったそうです。
その香水は、イタリア語で「アックア・デッラ・レジーナ」(王妃の水)と名づけられました。
この香りを持って、カタリーナ・ディ・メディチは、フランスにお輿入れをしたのです。
当時のフランスは、香りに関してあまり文化の発展がなく、こと香水に関しては、専門的な調香師などは存在していませんでした。
ですから、カタリーナ・ディ・メディチの放つ美しい香りは、たちまち話題に上り、そしてフランスでもこんな香水がつくれないかと考える人が増えていったのです。
その結果として、フランスでも、調香師という職業の人により、香水の文化が花開くことになったわけです。
その後、ヨーロッパにおける香水の歴史は、フランスを発信地として広まることになりました。
シャネルの香水誕生秘話
女性なら誰しもが知っているフランスのブランド、シャネルの香水。
特に、マリリン・モンローが愛した「シャネルのNO5」は、現在でも世界で一番売れている香水です。
この香水の何がすごいかといえば、合成香料を使用した非常に革新的な、世界初の香水ということ。
合成香料は、19世紀から20世紀初頭まで盛んに開発されるようになりました。
その頃、ココ・シャネルは、幾つもの香水の候補を調香師に作成させるのですが、思うような香りが出来上がりません。
当時の香りは、高価すぎる自然の香料を混ぜたものや、娼婦がつけるようなものがほとんどで、一般的な人がつけるような香りの香水がなかったのです。
石鹸の香りや爽やかな木の香り、柑橘系の香り、さらには価格も考えなくてはいけませんでした。
つまり、一般的な庶民も買えるような商品でなければならなかったのです。
こうして試行錯誤の上、選んだのが、サンプル番号5番だったので、「シャネルの5番」という名前になり、「シャネルNo5」が誕生したのです。
その後、シャネルの作った香水は、世界で一番有名な女優マリリン・モンローによって、世界にその名が広まっていくことになるのでした。
ある時、マリリン・モンローに記者が質問しました。
「寝る時は何を着るの?」と。
するとマリリンの答えは、「シャネルの5番」!!
これにより、シャネルの5番はセクシーな女性が身に着ける、というイメージが定着したのです。