最近、旅行先として人気上昇中のベトナム。
「温暖でエスニックで日本から近い、景色がきれいでココナッツがおいしい、美人が多く民族衣装がきれい」等の旅行パンフレットの謳い文句ならすぐに思い浮かびますが、具体的に、どんな国かはご存知ですか?
意外と知らないベトナムの歴史を今回ご紹介したいと思います。
併せて、おすすめの観光スポットもちらっとご紹介していきますので、ベトナムでの名所巡りに役立てて下さい。
現代から遡ってみよう!
最近の話からいくと「TPP加盟国」
ベトナム関連の最新ニュースといえばTPPです。ベトナムは開発途上のイメージもありましたが、今は、アメリカや日本と並んで商売できるように、頑張っています。
2016年、高島屋ホーチミン店(サイゴンセンター内)がオープン
高額のお土産は、安心できるお店で買いたい。そんな時に心強いのが、日本資本のお店。ホーチミンにある日系デパートです。
ASEAN加入後、一息ついたタイミングでベトナム旅行が熱い!
ベトナムは、戦争の余波で色々ありましたが、1995年にASEAN加入。周辺の国や、アメリカなど、対外関係も落ち着きました。観光PRを発信する余力が出てきたんですね。
平和って素晴らしい。
発展途上の裏返しですが、第一次産業が盛んなので、食べ物が安くて美味しいです。
「観光客ぼったくり魂」が育つ前の、うぶな居心地良さが、現在のベトナムの姿です。
2つに分かたれた国を統一。悲しい戦争の記憶
1960年代、南ベトナムと北ベトナムが激しい戦争を繰り広げ、今の「ベトナム社会主義共和国」を作りました。
同じ民族が、外国とのしがらみや、経済の形をめぐって対立する、悲しい戦いでした。
当時、兵役されていた方や、戦地を知る方もいらっしゃるので、ベトナム観光中は不用意な発言をお控え下さい。
アメリカが枯葉剤を散布して、国際社会から非難を浴びたのが、この戦争でした。
アメリカは南ベトナムに味方していたので、北ベトナムの兵士はアメリカ軍とも闘いました。
火力や人数、食糧事情など、何もかも勝っていたはずのアメリカですが、北ベトナムの兵士がとても強いため苦戦し、「人の上に毒を振り撒く」という禁じ手を使ってしまうのでした。
北ベトナムの闘いっぷりが学べるのが、以下のスポットです。
戦争証跡博物館
海の向こうの大国が嘴を突っ込んできても、屈しない。切ない強さを学ぶ博物館です。
日本人の戦争カメラマンが撮影した写真も、数々展示されています。
ゲリラ戦で使われた罠を体験することもできます。
ベトナム軍事歴史博物館
ホーチミン廟にほど近く、ついでの観光に便利なのがこちら。
戦闘機や砲台などの屋外展示が充実しているので、お子様でもとっつきやすいのではないでしょうか。
強くて格好いいだけではない、大人への一歩になる場所です。
※博物館の解説は、ベトナム語・英語・フランス語のみになります
分断中の南ベトナムと北ベトナムのこと
旅行パンフレットでよく目にする、「ホーチミン」「ハノイ」が、それぞれ南ベトナム、北ベトナムの首都でした。今は、日本でいう大阪・東京のような、二大都市として栄えています。
南ベトナムは、ザ・南国!
北ベトナムには冬らしい季節があるけれど、南ベトナムには冬が無い、と言われています。
メコン川が海に注ぎ込む扇状地であり、標高の低い湿地帯。
首都だったホーチミン(旧名:サイゴン)は、南北に長いベトナムの中でも、本当に南端に位置しています。
フランス植民地時代には、東洋のパリと称され、現在もフランス式の建造物が多く残されています。
特に「サイゴン大教会」は、フランスから取り寄せたレンガで造られた、格式高い教会です。
サイゴン大教会
ローマ法王から指定を受けた、ベトナム国内で最高位のカトリック教会。
ミサ中は立ち入り禁止のため、中に入るのは難しいですが、外観はいつでも見学できます。
公園内に建っているので、大勢での記念撮影でも不自由しません。
ホーチミン中心街の散策に外せないスポットです。
北ベトナムは、中国と国境を接した位置にあります。
そのためか、ハノイの料理は、エスニックというより中華料理風。辛いものが苦手な方も、安心して何でも食べられます。
また、フランス植民地時代には、ラオスとカンボジアとをまとめた「フランス領インドシナ」の首都が置かれました。滞在中、ベトナム料理に飽きてしまったときは、あえてフランス料理店に行ってみるのも面白いですよ。
ドンスアン市場
東南アジアを旅する醍醐味は、市場の喧騒。
昼間は生鮮食材の市場、夜は雑貨や軽食のナイトマーケットが賑わっています。
原則は生もの厳禁ですが、自分で皮をむく、バナナやライチ等は比較的安全に食べられますので、ぜひ挑戦してみて下さい。
バナナでさえ、本場は格が違います。
フランス植民地時代のベトナム
ヨーロッパ各国がアフリカやアジアを支配していた時代、ベトナムはフランスに植民地化され、ラオス・カンボジアとひと括りに管理されていました。
ベトナムは、水が豊富な稲作地帯ですが、この頃の影響で、フランスパンをよく食べるようになりました。皮が柔らかく、モチモチしっとりの、アジア人好みのフランスパンです。
今では、フランスパンのサンドイッチ(バイン・ミー)はランチの定番。街角の屋台・お洒落なカフェ・市場の出店など、場所を問わず見かけます。
また、コーヒーをよく飲むのも、フランスの影響です。
独特の道具を使ったドリップ方法で、一人分ずつカップに直に落とすのが一般的。深入りの苦ーいコーヒーに、甘い練乳を混ぜて頂きます。これ一杯で、おやつには十分!
フィルターを使わない・カップに直に落とす・深入り派、というところに、フランスの面影がありますね。
現在のベトナム語の書き文字がアルファベットなのも、もちろんフランスの影響。
王朝時代のベトナム
ベトナムにも、ベトナム人の王族が統治する時代がありました。阮朝、と言います。
旅行パンフレットでよく見かける、三番目の都市、「フエ」を首都としていました。
中国の影響を強く受けていた王朝で、宮廷料理は中華料理的な飾り切りが見事。
阮王朝は、フランス植民地時代にも、名目上の立場を保って存続していました。日本への留学を推進したり、日本の手を借りてフランスから独立を試みたりと、縁の深い王朝でした。
現在、フエはベトナムの古都として人気の観光スポットです。
世界遺産の「フエの建造物群」や、温泉、伝統芸能など、見どころたくさんです。
食べ物は、ホーチミンやハノイに比べて、辛い味付けだと言われています。
フエは、ベトナムのほぼ中心に位置した海辺の町。近くの、ダナン、ホイアンも、有名な観光地なので、「ちょっと寄る」くらいでは時間が足りません。
ベトナムを満喫するなら、ハノイ一泊、フエ一泊、ホーチミン一泊の三泊以上が理想です!
阮王朝以前のベトナム
ラオス・カンボジアと国境を争ったり、ベトナム国内でも分裂したりしながら、おおむね、中国に封建される形式をとっていました。仏教や風水を取り入れたり、漢字を学んだり、と、奈良・平安時代の日本と似ていますね。
フランスに支配される前は、ベトナム語の書き文字も漢字(とベトナム独自の漢字)で表記していました。地名に「越南」「河内」などと漢字が添えられるのは、この名残です。
また現在でも、中国からの観光客が多いため、観光地では漢字の看板を見かけることもあります。
ただ、学校教育で漢字を学ぶ機会は無いので、現地でのコミュニケーションには使えません。
来遠橋
17世紀には、日本との貿易が盛んになり、ホイアンに日本人町ができました。
当時建てられた石橋が、今でも残っています。ホイアン観光のついでにどうぞ。
まとめ
これまで、ベトナムは、あまり馴染みのない国でしたが、意外と日本との関わりが多い歴史を持ちます。地理的な問題もあって、日本とは同盟関係であることが多いです。
これから発展していくベトナムを、ぜひご自身で見に行ってみるのも良いかと思います。